The Honolulu Times-VOL.18 No.198 JULY 1,2004 掲載
仲三郎「縁でこそあれ」新内に生きる
羽ばたけ世界に親子鷹
《新内の粋、江戸の粋》
浮世絵、文学、芝居、多くの江戸芸術を支え、育み、華ひらかせた遊郭、吉原の星は、江戸町人文化の一大文化センターでした。ここで、最も尊ばれたのは〃情〃のありかたであり、なによりも〃美〃さんらんたる秩序とそのきらめきでありました。様々な江戸町人文化、現代からすれば不自由とも思える秩序厳しいこの時代に、身分や、お金、櫃力だけに縛られることのない〃吉原の里〃囲われた自由の中から「粋」という美意識とともに生まれ、親しまれたことを興味深く思うのです。自由と誰もが錯覚している今の時代、見失い忘れかけている〃美〃があるのではないでしょうか。
日本という国、いつの時代も、そんな時代の様式美を文化に上手に取り入れてきた、めずらしい国です。そのような時代に生まれたのが、新内節です。
《新内節・しんないぶし》
新内節とは18世紀に鶴賀新内(1747年〜1810年)が残した名称で、江戸浄瑠璃(浄瑠璃とは語り物音楽の総称)の系統です。歌舞伎にも用いられておりましたが、初期に歌舞伎の劇場から離れ、主に遊郭の音楽として発展してきました。そのため哀愁に富んだ悲痛な感情を表現する曲が多く、物語性が豊かで、心理描写を唄うのが特徴です。新内は貧しい階級の中で守り、育てられてきた日本の伝統芸能です。
《新内流し》
新内流しは、新内節の独特な演奏形態のひとつです。新内流しは、二人一組で街中を、三味線を弾きながら演奏することをいいます。一人が大夫(たゆう〉といって、三味線の手本を弾きながら唄います。もう一人が三味線の上調子(うわじょうし)という高音楽を弾きます。今日では時代劇の映画の中でしか見られませんが、イベントで新内流しは多く使われております。そして、伝承された曲は、劇場舞台で公演されております。「蘭蝶(らんちょう)」、「明鳥(あけがらす〉」が新内の代表曲として有名です。
《新内仲三郎の活躍》
新内は江戸時代の瓦版、現代では週刊誌的な要素が強く、主に心中物語などが多いのが特徴です。新内仲三郎師匠は「古典の復活と新曲発表」をテーマに平成2年からリサイタルを始めて、平成12年までの10年間で10回にわたり公演活動を行いました。4回目の平成5年のリサイタルでは音楽部門の芸術選奨文部大臣賞を受賞されて、新内人では始めての受賞でした。この賞が「新内」という伝統芸能が現代に見直されるキッカケになった記念すべく受賞となりました。リサイタルでは古典は「勧進帳」、仮名手本忠臣蔵十段目「天河屋」、封文恋の緋桜「吉祥寺の段」、「大江山衣洗いの段」、明鳥後真夢「蘇生場」など公演。
新作は新内仲三郎作曲による、怪談「雪女」、雨月物語・浅茅ケ宿」、「楢山節考」、「羅生門」など、リサイタルでは多くの聴衆を魅了しました。
《最新公演》
5月29日〜30日、新橋演舞場の舞台「風に立つ仲三郎」では、ご子息、新内剛士氏の浄瑠璃「明烏」から始まり、「日高川」では新内仲三郎師匠とフラメンコの踊りが不思議な新内の世界へと誘い、素晴らしいものでした。二部の「風の盆・新内流し」は、舞台一杯に「越中おわら・風の盆」の踊り手と、新内仲三郎師匠の澄んだ艶やかな新内節に、観客は粋の世界に魅せられ、感動の舞台でした。新内仲三郎師匠とご子息、新内剛士氏の舞台は、多くの人の心をひきつけ、もの悲しさの中に哀愁が漂う、庶民の伝統文化の中に品格を感じる素晴らしい舞台でした。
《新内の今後の展望》
平成13年に、新内節三味線の演奏家としては初めて、新内仲三郎師匠は重要無形文化財(人間国宝)の個人認定をうけられ、新内も脚光を浴びたことは事実ですが、新内全盛期の昭和30年代〜40年代から、今日、若手の後継者が少なくなり、小子化の波は新内の世界も危機的状況に追い込んでおります。新内剛士氏は、新内仲三郎師匠の長男で後継者です。現在東京芸術大学の3年生在学中。芸大の常盤津科に在籍(芸大には「新内」コースがない為)。もともと男性のためにつくられ、主に男性の語り手で継承されてきた「新内」が今後どのように変わるのか師匠も憂いておりますが、人間国宝の認定を受けられた新内仲三郎師匠と後継者として修行中のご子息には、日本の若い世代に限らず、世界に通じる日本文化、「新内」の素晴らしさを、海外にも広げて頂きたく、これからのお二人のご活躍を大いに期待致します。
(F・A東京特派員レポート)
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